平坦な息
玄舟塾に入会して二年も真面目に稽古を続ければ、殺陣におけるある程度の動きは身につけることができ、それなりに「立ち廻り」も演ずることが可能になります(このレベルを玄舟塾では「中級」と言います)。スピードもそこそこ付いていますから、素人さんから見れば「わ〜、カッコいい〜!」という評価も、貰えなくもないレベルになったと言えるでしょう。
ところが!です。これでは全くもって不完全なのです。特に私と南塚が演ずる見本と比べると明らかに「何か」が欠けているのです。では、その欠けている「何か」とは何かというと、ズバリ!「息(呼吸)」なのです。正確に言うと「息の仕方」ということになりますが、中級者達の「息の仕方」は余りにも「平坦(!)」なのです。
息の「仕方」
「息の仕方が平坦である」とはどういう意味でしょうか?「声が出ていない」ということとはちょっと違います。彼らは痩せても嗄れても中級ですから「技を掛けるときの気合い」や「やられた時のうめき声」はきちんと出せているのです。しかし、「その間」の呼吸がいたって平坦なのです。といっても激しい動きの中でのことですから多少荒くはなっていますが、私と南塚が見本を見せているときの呼吸とは雲泥の差があるのです。私と南塚が演武をする時には、本当にもの凄く多様な呼吸をしています。思い付くままに挙げるならば、「不意に相手に攻撃をされて思わず<息を呑む>」、「辛うじて相手の攻撃をかわしたときに自然と<息が漏れる>」、「自分が攻撃を仕掛けるために急激に<息を貯める>」、「相手との間合いを計る時にジッと<息を殺す>」等々まだまだ数え上げればきりがありませんが、つまりこれだけの呼吸を一つの立ち廻りの中に織り交ぜているからこそ、中級の彼らと比べて格段に内容が豊富な演武になっているのです。
宮崎アニメの「息」
「息(呼吸)が演武を豊かにする」と言われてもピンと来ない人の為に分かり易い例を示しましょう。それは「千と千尋の神隠し」でアカデミー賞を受賞した宮崎駿監督の作品中に非常に多く観られる事です。宮崎監督の描くキャラクター達は、皆一様に息をすることの達人ばかりです。大男達が殴り合う場面では、パンチを一発ぶち込む前に必ず胸一杯に息を吸い込みますし、もののけ姫の<アシタカ>が怒りに身を震わせる時などは、息を身体中に吸い込んで「ぐっ」と止めているのがわかります。また、ユーモラスなところでは<トトロ>が大きな声を出す前には胸が張り裂けんばかりに息を吸い込みますし、切ないところでは<千尋>がお父さんとお母さんを捜す場面で、大きく身体を前のめりにして叫んでいます(こうするとお腹に力が入って、より大きな声が出せるのです)。宮崎監督の描く動きにはもちろんアニメ的な誇張がありますが、その動きの奥にある「心と呼吸、身体と呼吸の本質」が見事に映し出されているのです。だからこそ、それを観ている私達もその本質を身体の奥で感じ取り、キャラクターに同化して、ワクワクドキドキしたり切なく悲しい気持ちになったりするのです。
「息」は「生き」
私達の先祖達は「生」と「息」に同じ訓を当てて「生き」・「息(いき)」とし、「生きる」とはすなわち「息(す)る」ことだと見抜きました。何を当たり前の事を言っているんだろう?と軽く見過ごさないでくださいね。この言葉には恐ろしいほどの「本質」が詰まっているのです。皆さんは「息の仕方」に上手い下手があると言うことはご存じでしょうか?息の仕方が上手い人というのは身体も丈夫で、精神的にも健康に生きて行かれます。そうでない人は全く逆の人生を歩まなくてはいけません。「より良く息する」と言うことは「より良く生きる」ことに繋がるのです。
「息」(呼吸)を盗め!
この考えに立って前述の中級者達を観てみますと、彼らの至らなさが良く分かって来ます。彼らは自分たちの息を「ないがしろ」にしているが故に、彼らの立ち廻りが「生きて」こないのです。「生き生き(息息)していない」のです!ここまでくれば皆さんにもお分かりですね。これからの稽古は「息をすること」にも注意を向けて稽古しなければなりません。具体的に言うと上手い人の「息(呼吸)」を先ず真似するのです。真似をして真似をして、自分なりの呼吸を掴むのです(これを「呼吸を盗む」といいます)!上手い人というのは別に道場の先生や先輩達でなくとも構いません。テレビや映画に登場する俳優さん達でも構わないのです。その俳優さん達の呼吸を盗み続けることで、きっと皆さんらしい本当の殺陣が完成することでしょう!