梅雨時の憂鬱
梅雨は嫌ですね〜、じめじめして。そうして、梅雨時は雨が多いですね(当たり前田のスープレックスですね)。そして雨の時は皆さん傘を差しますよね(当たり山田のカレーうどんですね)。その傘の「扱い」が、最近の皆さんは大変「お下手」でらっしゃる。それを見るに付けて、不肖わたくし、ガックシ来てしまうのです。
先ず一番ガックシ来てしまうのは、傘を差した人同士が狭い歩道ですれ違う時です。昔の人はこの様な時、お互いの傘をすれ違う相手に対して反対側に少し傾けたものです。そうすれば互いの傘の端が触れあうこともなく、よって、傘の端同士がぶつかって水しぶきが上がることも無かったのです。ところが、今の人達はどんな狭い道ですれ違おうと、そうすれば当然傘の端と端がぶつかるであろうことが分かっていたとしても(分かんないのかな?)、ガンとして自分の傘の角度を保ったまま直進してくるのです。結果は目に見えています。あっちでバシャ、こっちでバシャ!ぶつかった者同士は互いに「相手の方が悪い」とばかりに睨み合っている・・・。ハ〜〜、ガックシ。
衰えた「間合い感覚」
僕は殺陣師という仕事柄、特に「間合い」に関しては、病的な程(笑)敏感です。ですから、関係ない人の「間合いの悪さ」も気になって気になってしょうがないのです。「そりゃ、あんた、確かに病気だから病院行った方がいいよっ!」というご忠告にはちょっとドキドキしながら耳も貸しますが、「あんたは殺陣師だからそんな細かいことを言うんだよ!俺たちは殺陣なんかやってないから関係ねえよ!!」というご意見には承伏しかねるものがあるのです。だって、僕が東京に出たての十九から二十代前半の頃(約二十年前)、池袋の雑踏を歩いていたって、お年寄りだろうが若者だろうが、みんなこの「傘を互いに外側に外す」ことはやっていたと記憶しているからです。それが今はどうだろう・・。たま〜〜に、傘を外側に外してくれる人とすれ違うと、「うわっ!めずらしい!」と感動してしまうくらいに、誰もやらなくなってしまったのです。
僕は、若い君たちを責めているわけでは決してありません。だって、一番これ(傘の外し)をやっていないのは、僕を含めた君たちの「お父さん世代」だからです。それどころか、駅の構内の階段なんかで、畳んだ傘の先端を真後ろに振りながら平気で駆け上がって行くのも、僕らの世代が一番多いように思えます。言うまでもありませんが、段差のある所で傘の先端を真後ろに振ったら、下から続いて登ってくる人の丁度顔面の高さになることぐらい、皆さんになら想像できますよね。・・いやいや、僕は同世代の批判をしたいわけでも無いんです。ただ、日本人が、日本人の「間合い感覚」が、退化しているように思えてならないだけなのです。だって、先に述べた「傘を互いに外側に外す」という行為には、「傘かしげ」という美しい響きの「名前」が付いていて、田舎だろうが都会だろうが、み〜んな当たり前のようにやっていたんですから。
君達が居る!
ちょっと嫌な物言いですが、「階段の下から登ってくる人の顔面に、傘の先を突き刺しそうなのに気付かない」鈍さと、「鉄パイプで人を散々殴っておきながら<死ぬとは思っていなかった>と言えちゃう」鈍さは、ほんの紙一重のような気がしてならないのです。だから、殺陣を志す若い君たちには、僕が口が酸っぱくなるまで言い続けたいと思います。
「日本人はとても繊細な民族だった」と。そして、「繊細で力強い民族だった」と。
現代において「繊細」と言う言葉は、ある意味、「弱さ」を含んだ意味合いを持っていると思います。が、それはとんでもない誤解です。 世界のトップ・プロ・スポーツ選手の中で、繊細で無い人間なんか一人もいません。 イチロー然り! 中田然り!! です。皆、「繊細で力強く」かつ「大胆」ではないですか! ここが大事なところなのです。「大胆で力強い」選手は、それこそ「掃いて捨てる程」存在するのですが、その中から抜きん出て、あまつさえトップを取る為には、絶対に「繊細さ」が必要なのです。 殺陣だってもちろん例外ではありません。「ただただ乱暴に振り回される刀」を見せられたって、誰が感動の涙を流すでしょうか?
君達なら未だ間に合うはずです!「繊細で力強く、大胆な殺陣」を演じるために、日々を、どうか繊細に生きてください。それが「弱々しく生きろ」という意味ではないことは、もうお分かりですね。さしあたって、この梅雨の季節を利用して「間合いの稽古」をしましょう! 傘を差して人とすれ違う時に、傘の端がその相手の傘に触れたら自分の「負け」です!殺陣で例えるなら「共演者に切っ先を当ててしまった」のです。このように自分の傘を「木刀」に見立てて、人知れず「間合い感覚」を磨き続けるのです。そうすれば、自ずと君達の殺陣も、より「繊細」なものに変化してくるでしょう。